成績回顧録(浪人してから)+浪人の感想
現役の入試結果。
せんたー
成城、駒沢、日大→○ 明治×
一般
上智× 明治× 青山× 早稲田×
入学金を払ったのは駒沢です。
(駒沢はセンター利用で同じ料金で2つ申し込めてとてもお得だと思います。)
気づいたらほかの二つの第一振り込み日?的なのすぎてて、学校の先生に払った?と聞かれた日にはもう遅かった。親にばれたら怒られるので、必死こいて、ほら駒沢だけ文学部じゃないとこも申し込んでてやっぱり文学部よりその学部がいいと思ってって言い募りました。母親にはばれて怒られました。
浪人を決めるのはすごく悩みました。私大文系だってのもすこしあったけどそれよかは、自分的にこれ以上自分の頭がよくなる気もしないし、進学した先で頑張るべきなのかなあのほうが比重高かった。
親はすきにしろということだったので、本当贅沢に潤沢に悩みました。それこそ友達にもかくかくしかじかどんちゃんばらばらと相談して。
でも早稲田で補欠もらっていたのと、あとこのまま進学したところで英語わけわからないままじゃんっていうのとで、浪人することにしました。まあたいして伸びなかったんですけど。
まあとりあえず、せっかくなので補欠だった早稲田の得点開示を。
切れちゃってますが法学部。伝子部ってみえるww
この二つ。そして落ちました。補欠待つのしんどいです。心の疲弊やばい。
今年もたくさんの人が去年の私みたいな目に合うと思うとなんともいえない気持ちになります。補欠から上がったのが0人って聞いた時にはじゃああの不安定な気持ちどうしてくれる、って思いましたね…。
三月、卒業式終わってから補欠の合否を電話で…。電話つらいですよ。ほんっとに。
二度とやりたくない。電話しかないってところに無慈悲さを感じます。
まあ、あと、へたなてっぽもかずうちゃあたるともうちょっと他も受けました。
その中で一番悪かったのはここ。
かすってもいないwwというか日本史も英語も平均を割るという所業ww
でも自分的にはとても納得する感じでした。文化構想と文学部は傾向が似ているというけど、文学部の過去問全然解けなかったしピンとこなかったので。
この開示は五月頃に来ました…たしかそんくらい。上智の成績開示は普通に忘れてしてません。できることをしらなかった。
予備校決めはもう一人浪人することになっていた友達と、たぶん国立前期終わるか終わらないかの丁度今時期くらいに予備校をいくつか回って決めました。補欠はこないって思ってたし。定員厳格化とかで。それでも補欠からの不合格虚無感半端なかったですけど。
新宿はすごいですよ。歩けば予備校に当たります。まあ55段階個別指導のとことかはなかったけど。
浪人した人みんな言ってる、どこの予備校でも自分の頑張り次第ってのはその通りですけど、でもやっぱ雰囲気好きだったりするとこを選ぶってのは大事だったなあと今思います。向き不向きは絶対ある。
かわいい予備校とかすぐしぬ予備校とか東に進んでいく予備校とか代々木にあることをめっちゃおしてくる予備校とか。私は緩いところが好きだし、人が多いのも苦手だし、知り合いいても面倒だしなあ、って理由で決めたので、特段そこでやってるなにかにひかれてーみたいなものはありませんでしたけど、今はとてもよかったと思ってます。授業はまあいったん置いといても、自分に合う厳しさなり緩さなり、生徒と予備校の職員さんとの距離なりはやっぱ行ってみないとだったしとりあえず早めに動くっていうのは間違いなかった。そんなこと力説したところでだから何だって感じwいいんだ自己満足だからww
確か授業料は15万値引きしてもらえたと思います。学力診断的なコースわけ的なテスト、たぶん基本的なとこをきいてて、簡単なんだろうなあって思いました。私は基礎知識なく応用に特攻していく形で受験勉強していたので英語がわけわからなすぎたけど、結果値引いてもらえたので、簡単に差っ引いてくれるという噂は本当なんだなあともw
浪人。
授業は基本的にまじめに出ていました。せっかく金払ってるし、しっかりせねばーと。でも、現代文の授業は唯一前期の始めのほうから切りました…いらっとして。
予備校側からの出席率低いと落ちるみたいな脅し文句はそんなになかった。ほかの予備校通ってる友達からこの模試は簡単だからこのくらいの成績じゃないととか言っててさーての聞いたりして、あー言われないとこでよかったって思ってました…メンタル弱いのでね…。セルフで死にかけてましたから…。
一年間の成績はこんな。
早稲田の判定悪いですねー。これは落ちるって見ながら思ってた。
早大プレ。
古文四点って笑えますよねー…これ返された次空きコマで、ちゃんと勉強しようって思ってたのに、この時期にこれはほんっと無理でしょって予備校でてカフェ行って何するでもなくぼんやりしてました。90分ココアちびちび飲んでた。
一年間の中で一番しんどかったの十月~十二月初めくらいだった。夜寝れないし、現実逃避はかどるし、授業寝ちゃうし、朝起きられないし、なにやっても頭に入ってこなかったなあ…。
浪人生はこうだからこうなんだよー、みたいなのってあてにならないって思いながらも読んじゃうし当てはめて考えちゃうしで、前期は前期で夏までは浪人生の成績は良くて当たり前後期から下がっていくのだ、とか読んで、焦りだけ募って何もしない、ってことがよくあった。もっと単純に考えてもよかったのかもしれない。やったら上がるってのは別に年齢に関係ないのに…。
まあだから一年間成績上がらなかった私はやっぱダメ人間なんですけども。
勉強時間はまあこのブログの始めのほう読めばわかりますけどひどいもんだ。
気分上げるために、めっちゃテンション高く目標高く掲げてたんですけど、それも息切れして途中でやめたし…。継続ができなさ過ぎて、途中で勉強時間自体つけるのあきらめたし。
木曜に五コマくらいあった以外は毎日一,二コマなのになにしてたんだかなあ。
日本史やったからまだ何とか形になったんでしょう。そこだけは自分でも認められる気がする。まあ先生のおかげな気もするけど。あの授業とプリント見てたら誰でもある程度いけそう。でもほかの人の受けたことないからわかんないやww
日本史はまあそうでも、英語に関してはイディオムとかからっきしだし英作文終ぞよくわからなかったし、なんだかなあ…。まあ、これに関しては大学に入ってからもがんばるぞってことにするしかないですよね。古文とかも放置したまま終わった…古典単語とか授業で繰り返し出てきたのくらいしか覚えてない。単語帳とか使わなかった。文法もいまだよくわかってない…。接続とか。まあ現役の時は、形容動詞と形容詞のどっちがク・シク活用でどっちがタリ・ナリ活用かもわかってなかったんですから凄い進歩ではある。すごいしょうもないけど。
冬とか、携帯の使用時間みると24時間中10時間某作品投稿サイトみてたりとかして、まじでやばいと思いながら過ごしてました。某アニメにはまってはまってしょうがなかった。絵とか漁りまくってた。
自習室とかも12月の一時行って過去問解いたけど、それもほぼ日本史しかやってない。英語は教育と文化構想と社会科学部のを2011年から2014年か2016年かくらいまでを解いた。午前中にその三年分とかを解いて午後半ばに帰ってきて…なにしてたんだか。
センター以降もずっと家に引きこもって…なにしてたんだろ…。落ちるなあって思ってぼけっとしてたかな…。ああしょうもないほんとしょうもない。
国語はそも一年間授業受けるだけ受けて復習しなかったし(現代文しかも全部受けなかったし)、英語はもう年明けて以降何もやりませんでした。1問でも間違えると、頭真っ白になって死にたくなるから。日本史だけ、プリント眺めたり問題集少し解いたりしたかも。過去問データベースをカチカチカチカチやってました。
やっぱ最低な浪人生活ですね。でも、ある意味これが私の限界ということなので粛々と受け止めたいと思います。書いててうつうつとしてくる。だめだめだ。
前のブログで書いたこのブログ書くきっかけになった出来事はこれです↓
またもいらんとこも隠しているけど、まあいいやね、若干名前見えているかと今ドキッとしたけど見えてなくてよかった。
こんなのあるなんて知らなくて、封筒に赤くハンコ押されていたからテンパって親に、申し込み間違えたかも!!って大慌てで見せました。給費生ってものを知らなかった…。
少なくとも、明治でのこの試験では成績上位者になれたということがわかってとても嬉しいです。行くかというのは現状未定なのですが…。
もうすぐ怒涛の不合格発表が待っているんでしょう今、少し心の支えになるww
浪人するか悩んでいる方はこのブログ読んでなんだこいつって思うかもしれません。
もし万が一私大文系で浪人を目指している方が見ていたら(…いないんだろうなあ)私が言いたいことは、なんにせよやるかやらないかしかないということです。
よほどのずれた勉強をしない限り、浪人での一年を頑張れたなら、不合格だろうとそれが財産になることは間違いないと思います。一年余分に勉強した分得た知識は、結果として糧になると思います。
また、予備校についていうと、学校での授業以外に予備校という特殊な環境で授業を受けることは少なくとも私にはいい経験だったなと思えるものでした。高校まともにいけなかったから予備校に通うっていうのにも不安、とかはいらない心配杞憂というものでもあったし。
まあ授業受けて得るものってのは、別段学力であるとは言えないけども(私だけかな…。)
英語に関しては強制的に触れさせられるってところが私みたいな人間にはいいものだったけど、解き方とかテクニックとかばっか教えられるような感じだったりするの無理だった。内職してた。単語とか。
とりあえず漠然と”ちゃんと”浪人してる、やることこなしているって感じとか、いざというときに話を聞いてくれる人がいるっていうのが予備校通うことで得るメリットである気もする。まあ私コミュ障過ぎて一回も質問もなんもしたことないけど。
だから頼れる人とかいたり、めっさ精神力強いんだったら歴史系以外は自分でいけることだし、そんな授業受ける必要あんのかわからん。私立ってそんな英語の記述とかないし。歴史系はやっぱ流れとか教えてくれるしよかったなあって思います。
そんな感じ!私が活用できてないだけって説は濃厚。
やった側かといえば、だれが見ても勉強していない勢です。やってない側。
上から何か言えることなんもしてない。
今だって気力なくなって首都大受けるのもうなかば諦めてる。こんな姿勢で受けに行くのだいぶ失礼。
だから変な話、合格をもらえて嬉しいですけど、去年と何が違うって胸張って言えません。不合格でもきっとやり切った感がある人いると思います。
それは自分の限界まで頑張った人だけが得る特権だと思います。
そこが、やっぱ一番重要な気がする。後悔しませんか?ってことが。
参考にならない吐瀉物みたいなブログでした!
あと、全部の結果でたあとそれだけ残して終わります。さよならー。
成績回顧録(高校)
一応早稲田受かったし第一志望の学部の結果もうすぐ出るし、なまじ一個受かったから期待してしまう向きもあるし、だからってそんなまぐれが二度も三度も続くなんて思えないし、気が気でないし、でも昨日とあるきっかけがあったので、この少し満たされた気持ちとともに受験を振り返るだけです。きっとここが精神安定のピークだと思う、半ば今も死にたいけど。この一年何やってたんだか。
こんな過疎ブログのしかもこんな最低な浪人生活のこと残すのもどうかなって感じだけど、まあこんなんでも一応受かったよっていうのも含めて残す。データの無駄遣いだけどな。
しょうもないけどせっかくなので受験の成績推移とか現役からさかのぼってみようかと。
だらだら書くだけなので、このブログの元ある姿通り自己満足極まってます。懐古主義です。
序版。
まず高1。
中学までの勉強しなさ、英語への極度の嫌悪感から宿題もやらず、授業もそんなに起きていない、テスト勉強もしなければ文法単語もやらない。そんな怠惰が如実に表れている。長文60点中2点ってすごいですよね、なにとれたのか逆に気になる。
これも同上…。
一応個別塾的なものに半年弱通っていたのですが、そこがくそみたいなところで、ただ問題集を与えただ解かせる。その間おじいちゃん先生は寝ている、解説は問題集付属の解答から読み上げるのに等しく、しかも狭い汚い、みたいなところであそこで学んだものは何もありませんでした。お金の無駄だと思いやめました。成績も上がることはなかった…。まあ私自身が勉強する気皆無だったのも大きく影響していたと思います。
高2。
2016年3月第二回駿台全国マーク模試です。
高2の模試これしか残ってなかった捨てたはずないんだけど…。
私が自分のやばさに気づいたきっかけは、夏休みに違う学校に進学した子とオープンキャンパスに行き私の成績を話したときでした。
その成績はやばいとの宣告を受け、今まで捨て置いていた模試をみてみると何ともひどいことに気が付きました。人って改めて言われないと気付かないことがあるのだと思いました。
そのオープンキャンパスから帰ってきた日の翌日から、単語帳をやって、5日間とかで終わらせました。今思うと我ながらめちゃくちゃだなあと…。若気の至り…?今はそんなこと絶対できない。
地方の大学を見に行っていたので、家に帰ってきたのは昼頃。そこから爆睡したために起きたら夜だったので、昼夜逆転状態でひたすらやりました。効率はめっちゃ悪かったと思うし、やった割には覚えられてはいなかったと思います。
夏休み明けの全統模試の偏差値は1学期の時の40前半から50後半まであがりました。うれしかったけど、どうせまぐれだし、と思い、また自分でやったと思う割に単語帳の内容を覚えていないことにやる気をなくし、そこからはまた勉強しない生活に…。
学校の先生との面談で親が成績がやばいといわれ、どうにかしろと言われたので友達の行っていた個別塾に冬休みころから行き始めました。
塾では、あまりにも英語の出来がすさまじく、文法が壊滅的(三単現すら知りませんでした)だったため、1月から5月くらいまで中学英文法から始まる文法地獄でした。ひたすらプリントを解きました。だんだんありえない分量のプリントをこなすこと自体が楽しくなり、解説をみないでただ解いて丸付けしていたし、何やっているんだか自分でもわからなくなったりしましたが…。
今日部屋掃除したら見つけた。これたぶん春休みの2週間で解いた分だと思う。その時くらいしかちゃんとルーズリーフ的に残してなかったと思うから。
塾で解いてみろといわれ解いたその年のセンター英語は78点でした。大笑いしながら先生に見せに行った思い出…。
高3。
駿台全国模試一個とベネッセの模試しかなかったので、一括で済むもので。
高校三年間の推移はこんな感じです。
一学期の間、塾での授業は英文法をつぶすことでつぶれ、また塾の宿題以外まったく自分では勉強せず、そしてなおかつ学校の授業を寝て過ごすことを続けていたので、成績はたいして変わりませんでした。長文をこのとき少しやっていたら違っていたのかなあと少し思いますが、そも単語をやっていなかったので、そっちをやってたらよかったのかなあとも。trashも読めなかったもんな…。
そしてまあ、諸事情あってその個別塾を友達ともどもやめ、10月頃から知り合いの知り合いがやっているグループ指導のようななんというかな塾に。そこではそれまでとは一転して、ひたすらにめっちゃ難しい、本当、わけわからない長文(その当時は)を全部訳していくということをしました。二、三日に一遍あるので、死ぬかと思いました。終わらないし、単語わからないし、そもそも文章の内容自体難しいしで。でもすごく力になったと思うし、それはとても楽しかったです。
今日部屋掃除したら見つけた。(2回目)
私には安定で、5回分くらいしかこんな風にちゃんとしてなかった。ほんとさいてー。
で、受験は落ちるわけです。塾に週に2回行って宿題やる以外まったくなにもしてなかったので、日本史ができなかった感じ。
明治とか国語全体で2問しか(過去問データベースあってりゃの話だけど)間違ってなったのに普通に落ちたもの。英語もそんなできなかったっけなあって思ったけど、まあどうせできないって思っていたし、感慨は生まれなかった。諦めモードって何も生みません。今年もそんなんだったけど。
メンタルが本当に激弱だったのがダメだったとも、英語以外まったく勉強していなかったからとも言えるわけですが、まあ私は本当バカだから落ちたんでしょうね。
ここらへんまではまあ浪人の前段部分で、次にちゃんと浪人について書きます。
鼻がグジュグジュ
今日はとりあえず私大終わったということで友達と久しぶりーという再会からはじまり話し込みました。いろいろすっきりできたし、やっぱ人と話すって素晴らしいですね…。気分が違う。すごい。
日曜あたりから咳が出たり鼻がグジュグジュだったりといろいろ体に不都合が生じてきてて、今日の朝は口内炎で来てたし…、緊張が解けた時の免疫低下はすごいと今とても実感しています。まあそんなんでも遊びに行っちゃったんですがww
その友達は、私とモノのとらえ方が似ているので二人であーだこーだどーだーそーだと話せてとても楽しかったです。中華食べましたおいしかった。まあ来週中華街行こうと別の友達と約束しているのですが…。
早稲田の発表を一人で見るのが耐えられないからということで今日付き合ってもらったのですが、受かっていて安心しました。友達におめでとーと抱き着かれて思わずうわあ見間違いじゃないよね、これあってるよね、と。
今回は第三者の目から見ても受かっていると言われたので少なくとも見間違えていないはず…。でもちょっと怖いです。信じられない。書類届かない気しかしない。
大学についての話とかも聞いて、自分は大学生になったところで落ちこぼれるという確信を抱いたりもしたのですが…。でも、前のブログに書いた悩みというか愚痴というかの話も聞いて貰えて、友達様様でした本当付き合わせて申し訳ないと反省しています。
あと、めっちゃ本買いました。冊数的には6冊でそんなに多くないんですけど1万2千円くらいした。めちゃ高かった。
頭の良さはともかく、とりあえずまぐれでもなんでも入れてくれたんだし、自分の頭悪い悪いって思いすぎるのは大学に失礼、という言葉がすごく素直に受け止められました。
浪人生としては駄目だったかもしれないけど、どうにか大学生としての基準に見合っていけるように、ならなくてはと思いました。まあできるかどうかは別問題なのでしょうが…。私の意志薄弱すぎる…。
でもとりあえず明日はこの体調治すことに専念したいと思います…、つらい…。
だけども
これでいいのか、って言われたら「よかったとおもう」と言える気がするのですけど、結果何かを成したとは思えないところがやっぱ切ないですねえ。
感情を割り切るのは難しいのでしょうか…。不満はないけど、頑張っていた自分はやっぱどこにもいないわなあ。このブログ見返しても思うけど。
自分でなしたものなんて、0なんでしょう。
来世来世ってやつでしょうか…。なんだかなあ。
英語結果できないままだし、やっぱりもらった合格も棚ぼたのもので私はきっとボーダーぎりぎりで受かったようなもんだろうな、去年の自分と何が違うんだろう。
去年の私と今年の私での差異の最たるものは日本史の出来具合なんでしょうと思います。
でも、それってなんか意味あるんだろうか、って思ったりしてしまうのですよ。日本史の知識に価値がないと思うとかそういうことではなく。
覚えるって大事だと思うけど、私はどうやってそれを覚えたのかっていうとどうやってなのかわからないし、これからなにか沢山のものを覚えるのにだって苦労するんだろうし、私の頭が良くなったわけじゃないんですよね。抽象的なものに当てはめる具体例とか増えたのかなって思うんで、それもまた語弊があるのかもしれないけど。
受かったのになあ、嬉しいのになあ、なのになんでこんなに虚無感があるんだろう…。
なんか合格ってものをもっと凄いものだと思っていた。なにかがもっとすごく違うんだろうと思ってた…。いや合格って凄いものだったんですけど、それが私を変えてくれると思っていたというか…。
でもよく考えたら、そうなるには私自身がどうにかならなくちゃいけなくて、そこを結果どうにもできなかったんですね。
まだまだ知らないことも覚えていないことも読めないものもたくさんあるんですよね…。
死んでしまいたいと、なんだか思っちゃうwwさすがに弱すぎるww
私はダメなままなんだなあ、まあ昨日も思ってたから、昨日も半ば欝々としながらブログ書いたんですけどw屑だなあ自分ww
ちょっと気分あげて書いてみたけど、何イキッてんだこいつって感じがあったw
成長できたって二月ちょい前は少し思ったりしてたけど、所詮は幻想でしたね。
本当、ただただむなしい。自分の成長のなさ。
経験から何かを学ぶことができないんですから、救いようないですね。
あといっこー
もう随分と経った気がしていたのにまだ1週間もたっていなくて驚き桃の木山椒の木。
とりあえず、上智受かって安心しているもちもちしたやつです。
明治受けている途中で我慢しきれずにはふはふしながら見ました。すっげえ挙動不審だったと思う。そしてそのあとの明治の日本史半分くらい爆睡した…去年の早稲田の文化構想思い出すレベルの深い眠りでした…。
…いらんとこまで消したけどまあいいやw
とりあえず、上智に関してはリベンジ達成できてとても嬉しいです。最初スマホで見たとき、信じられなくて帰ってパソコンで見ても信じられなくて、次の日届いた書類見て、手違いじゃなかったと安堵しました。
まあ受けている最中、友達にもう帰る落ちる学科試問見てもらえる成績なんて取れてない国語受けない帰る帰るとラインでぶちぶち言っている私を友達がいいから受けろと叱咤激励してくれるという影の支えが多分にあったわけですけれども…。
早稲田が第一ですが、上智も受けた学部が特色あるので行けることがほんっとうに嬉しいです。(大事なことなので2回ry)
さてでもここで私の性格的な問題が露見するのです…。
こう、10割終えなきゃいけないものってあるじゃないですか。
私大概8割で飽きてしまうんです。そしてやらなくなる…。
これだから、何も成し遂げられないってわかっているにも拘わらず、どうしても治りません…。(去年の勉強の仕方もめっちゃ粗だらけで、だから今早稲田なんて受かんないのにって受けるの放棄したくなっているわけですが…。)
そう今めっちゃ早稲田の某学部、残り一個を受けるのが面倒くさくて仕方がない…。
まあ首都大も受けるとなると、後2校なのですけども…。
でも、どうせ受かんないのに受けるむなしさたるやないですよ…。ほかにも早稲田受けてるけど、どうせ落ちてる、知ってるー。
でも首都大は折角足切り免れたから記念に受けるのもいいかなあとも思ったり、南大沢遠いなあと思ったり…。
とりあえず来週友達と遊ぶ約束をしました。ダメ人間ですね。我慢できない。
まあでも、なんとか形にはなった(…と思いたい)ので、全部の結果出揃ってから予備校のこととか模試の結果とか現役時の早稲田の得点開示とか全部を何回かにわけて載せてみたいと思ってます。自己顕示欲!(顕示したところで何のためにもならないところがやっぱポイントですよね。)
もうすでに去年のこと朧気だし…。覚えていることと言ったら、北海道行った夏、一週間くらい勉強しなかったことくらい…。あとソフトクリーム空港で5個くらい食べたこと…?めっちゃおいしかった。
とりあえず私大文系で二浪というハードモードは逃れられたので、というかまあメンタル的に多浪に私が向いてないからハードモードってだけですけどw、まあ及第点じゃんって一年を過ごせたと自分で思うためにも、自己暗示のためにも、りめんばーぱーるはーばー的にも、この一年まとめたいので書きます。早稲田全落ちなんて怖くない、怖くないんだからなあ!!
それではー。なんか季節の変わり目かめちゃ眠い…。